1. HOME
  2. 歴史① お寺のはじまり

掟光寺のはじまり

掟光寺は、昔、真言宗に属し、元々は日野山の中腹にありました。

1573年8月6日、真言宗の僧「雑明(ぞうみょう)」の時、
当村中平吹町の三田村七右エ門家より出家した「千如院日栄上人」
との法論問答の結果、掟光寺は日蓮宗に改宗することになりました。

ちょうどその頃、前年の1572年3月7日まで佐々布光林坊一族が
居城している平吹城がありましたが、当時勢力が盛んであった一向一揆の
3万もの軍勢により焼き討ちに合い焼失してしまいました。

そこで、この地に光林坊と縁者であった「千如院日栄上人」が
寺地を移し、雑明山浄光寺と号して千如院日栄上人を
開基開山としたのが始まりです。

唯一無二の寺院名

1598年の太閤検地のとき、当山に役人が長期滞在した際、その御礼として寺地ゆかりの光林坊掟運、掟俊の「掟」の字と光林坊「光」の字を取り「掟光寺」と改めました。当時、「掟」字は、一般に使用禁止で御法度であったにもかかわらず、検地役人に使用を特別許されたのです。その他にも、境内2000坪(6612平方メートル)、山一千刈(約9920平方メートル)を除地として賜りました。
 古くから寺の前の谷川は「お堀」と称され、光林坊の井戸跡、本丸跡、土塁跡が現在でも残存しています。また、全国で唯一の「一文字流石組の庭園」と池石垣跡も残存されて来ました。古図に、朝倉一乗谷の城内館、光林坊館跡が記され、今日その場所も分かっています。

『朝倉家家臣、佐々布光林坊中平吹村の内、30間四方ばかりの所、掟光寺寺地、福井一乗谷より6里ばかりところなり・・・」ー越前国名蹟考ー

その他の歴史
(伽藍など)

 当山は真言宗創立より700年か800年、改宗して435年の寺歴を有しています。この間、2度落雷によって焼失したが再建して現在まで存続しています。今日の本堂は約200年前、第26世本地院日透上人のときに再建しました(朝日町小倉蓮蔵寺歴世)。
 2007年(平成19年)の九月講(十ケ寺門中)記念浄業として200年振りに本堂、佛像、佛具、全修復し寺観を一新しました。
庫裏は1875年(明治8年)、妙泰寺一老職(本因坊入院)吉田日能(妙敬院日能上人)第36世に来住し再建しました。
第23世真浄院日道聖人のとき、本山より「聖号」授与され、24世察俊院日鏡聖人のときには『永代聖号』許可せられ今日に至ります。
 大本山清澄寺別当に登られた堀龍淳(別当貫首龍淳院日栄上人)は当山第38世龍舜院日温上人の弟子です。又、その弟子堀龍雄上人は厚木大本山妙純寺貫首に登りました。神奈川、法勝寺、妙泉寺、本住寺、大阪八尾本照寺各住職は当山檀家三田村家から出生し、大阪堺興覚寺第25世青木龍雲(一道院日騰上人)も、当山檀家青木氏より出生しました。さらに、当山第33世妙詮院日講上人は、登高座五千座満行登高す説教師でした。

数々の名僧が掟光寺から輩出されました。