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  2. 歴史③ カレーライス?

カレーライス??

日本で最初にカレーライス(当時はタイスカレー)という言葉を
記録した人物は三田村多仲と言われている。
彼の明治8年(1875)の日誌にその言葉が書かれている。
実は三田村多仲の生まれがこの福井県越前市の中平吹であり、
その家の菩提寺が掟光寺である。

三田村多仲は出生と幼少の頃、
故郷のことを一切誰にも言わなかったため、
長年その幼少期は謎に包まれていた。
しかしながら、北海道の医学博士である大西泰久氏が
全国を東奔西走すること20数年の努力により、
ついに三田村多仲の出生の地にたどりつき、
ようやく分かったことである。

北海道開拓医学の祖、三田村多仲家の供養塔が
当山墓地に祀られている。

三田村多仲について

天保元年(1838)7月16日、中平吹村に出生。両親にとは早くに死別しました。

安政元年(1854)17歳の時、長崎に行き、医学校に入り蘭医学を学び、のち京都にて侍医:平野大隅先生の塾に入り、漢方医学を学び、熊田真治先生に外科、産科を学びました。

江戸開城で全国から医者が多数集められた時、三田村多仲もその中に待機していました。その後、東大医学部前身に入り、ウイリスに医学を学びました。日本国政府は、北海道の開拓を計画。三田村多仲はその専任医師として選ばれ、北海道、サハリンにて、その能力を発揮しました。

明治20年(1887)9月、札幌に三田村産科医院を開業。
明治26年初代札幌医師会会長に就任し、札幌医業界のリーダーとして地域医療に貢献した。
大正7年(1918)12月26日、札幌にて死去。享年79歳。

出生や幼少の頃は今まで分からずであったが、北海道の医学博士、大西泰久氏の研究と努力によって、100年以上の時を越えて分かりました。

この地から北海道に出て活躍された名医師として語り継ぐ為、
当山の墓地には三田村多仲家の墓顕彰碑を祀っている。