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【令和7年度】宗祖報恩講(4月)

4/9(水)に当山で「宗祖報恩講(御講さま)」を行いました。

春らしい穏やかないい天気でしたが、まだまだ肌寒く、本堂ではストーブつけて法要を執り行いました。

【本日のメニュー】

  • 道場偈
  • 勧 請
  • 開経偈
  • 読 経
    • 方便品第2
    • 欲令衆(三界は安きことなし〜最後まで)
    • 寿量品(〜未曾暫廃)
    • 提婆達多品(深く罪福の相を達して〜これを受けたもう)
  • 祖 訓(「祈祷抄」大地は指さばはずるるとも〜)
  • 自我偈〈太鼓〉
  • 唱 題〈太鼓〉(焼香)
  • 此 要〈太鼓〉
  • 回 向
  • 奉 送

【本日のお話】

「小さな機会の功徳」

・お釈迦さまとアヌルッダ(阿那律)との「針の穴に糸を通す」話を紹介。

・アヌルッダ(阿那律)はお釈迦さまの従兄弟で非常な熱心な修行者。お釈迦さまの説法中に居眠りをしてしまい叱責されたことがきっかりで自ら「決して眠らない」という誓いを立て、不眠不臥を貫く。その結果、目を失明してしまう。代わりになんでも見通す真理を見る眼を持ったとされ「天眼第一」と称される。

・このアヌルッダが新しく衣を縫う時に見えないので、「誰か善行を行い功徳を積もうとされる方はこの針に糸を通してくれないか」と周りに語りかけると、誰かが近づいて「私がさせてもらおう」と声をかけてきた。この声の主はまさかのお釈迦さまだった。アヌルッダはまさかお釈迦さまがされるとは思わなかったので「私は修行中の者たちに功徳を積んでもらおうと思ったのです。まさか悟りを得られたお釈迦さまが糸を通してくださるとは・・・」と答えると、お釈迦さまは「何をいう、この世において私以上に善行を求める者などいようか。修行を完成してもそれで終わりではない。道を求めることに終わりなどないのだ」とおしゃった、、、という話。

・針に糸を通すこと。まさにほんのわずかな手助けかもしれません。しかし、お釈迦さまはその小さな機会をも「功徳」と呼び、自ら行うとされました。私たちの暮らしの中にもこうした小さな「針に糸を通す瞬間」があると思います。困っている人に声をかける。静かに耳を傾けること。感謝を伝えること。どれもささやかなものですが、その行動が誰かの心を結ぶ「糸」となる行いに繋がるかもしれません。また、この話は修行の道に終わりがなく、幸せを求める心に上下がないということも私たちに教えてくれます。お釈迦さまの初心を忘れない心、謙虚な心、弟子を思う心を感じるあったかい話でした。

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