
【令和7年度】春彼岸会(3月)

3/20(木・祝)に当山で「春彼岸会」を行いました。
もう彼岸というのに冬日の天気でストーブがなかなか手放せない日でした。次の日からようやく暖かくなるようです。
例年は2座行っていましたが、今年から1座でまとめて実施しました。
【本日のメニュー】
〈第一座目〉
- 金丸五打
- 道場偈
- 勧 請
- 開経偈 p.2
- 方便品 p.13
- 欲令衆
- 記の一に曰く
- 咒 讃(散華→ハチ)
- 對 揚(釈迦、誠敬、坐法)
- (塔婆申し込み読み上げ)
- 自我偈 p.35(塔婆灑水)
- 唱 題(焼香案内)
- 此 要
- 回 向
- 略奉送
- 金丸三打
【本日のお話】
●時間について
・先日16日の雪囲い外しの御礼。雨の中で大変だった。今度の29日30日の千部会のお願い。
・「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という言葉の紹介。
・私たちが普段使っている「過去→現在→未来」という直線的な時間概念は西洋的な概念。過去の出来事が蓄積されて現在のわたしができる。この概念だと過去と現在を比較することになり、過去の出来事に引きづられてしまいがち。2年前はそうじゃなかったのにとか肉体が衰えてつらいとか。
・一方、この言葉は古代インド哲学の時間概念に近い。古代インド哲学では時間を円として捉える(円環的・循環的)。未来から現在に時間が流れてきている。例えば、「今お茶と飲みたい」と思うのは少し未来の「お茶を飲む」というところから来ている。未来から手繰り寄せている引き寄せの法則のそうな感じ。だから、自分の未来をネガティブに考えるとネガティブなものしか集まらなくなってします。
・仏教的な時間概念だと「過去、未来も無く、今ここにしか実体として存在しない」と捉える。
1年前・今・1年後。1週間前・今・1週間後。1日前・今・一日後。1時間前・今・1時間後。・・・・と狭めていくと、今という刹那な時間の中に過去・現在・未来が収まっている。過去という怪しげで頼りない記憶によって作られた現象であり実体を持たないわけである。だから仏教的には過去の自分と今現在の自分というのは一瞬一瞬に心も変わってるし細胞も変わってるし、全然別のものだから過去にとらわれる必要が無くなる。
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