【令和8年度】お日待ち講(2月)
2/10(火)に当山で「お日待ち講」を行いました。
昨年は大雪警報で休止しましたが今年は晴れのいい天気になりました。ただ晴れてるけど気温が上がらない一日で、本堂はストーブをつけないと室温0度という天然の冷蔵庫みたいでした。
【本日のメニュー】
- 道場偈
- 勧 請
- 奉 請
- 開経偈
- 序品第1
- 方便品第2
- 欲令衆 p82〜83
- 祖 訓(「法華題目抄」それ仏道に入る根本は〜)
- 咒 讃
- 自我偈〈太鼓〉
- 唱 題〈太鼓〉(焼香)
- 此 要〈太鼓〉
- 回 向
- 奉 送
【本日のお話】
「信心といたわる心について」
・今日呼んだ「法華題目抄」。日蓮聖人45歳。正確には不明だが、念仏信者の女性に宛てたと思われる手紙。お経の意味や内容を知らなくても悪道を免れるのかという問いに対して、日蓮聖人が順を追って説明している。結論はお題目は一切のお経の肝心で、お題目により悪道を免れることがお経にも書いているという部分で「それ仏道に入る根本は信をもって本とす〜」が出てくる。
・この一節は「仏道修行しょうとする者が実践すべき52段階の中でも十信がもとで、十信の中でも信心が最初の位となっている。たとえさとる才能や学識がなくとも信心があれば正見の者となり、才能があっても信心がなければ仏になるべき種が断たれてしまった者である。という意味。そのたとえとして提婆達多と周梨槃特の対比が登場する。
・信心とは毎日お経あげて南無南無することだけが信心ではない。広く捉えれば、冬が来れば必ず春が来るように辛いことがあってもいずれは悪いことも無くなると信じ続けられる心が信心。それには素直に聞くこころも必要。自らのおごりや卑屈を捨てて、経験しないとでてこない心でもある。ゆえに、信心とは簡単なようで難しい「難信難解」である。
・知恵があってもお釈迦さまを殺そうとした提婆達多、一方、知恵が無くともお釈迦さまを信じて修行を続け悟りを得た周梨槃特。西洋の名言に「宗教なき教育は悪魔を生む」とある。宗教はどこかの教団や集団に所属していけないという意味ではなく、広く言えば、他に対して思いやる心があるかどうかである。他人をいたわる心が無ければ、知恵があっても提婆達多のようになってしまう。その他人をいたわる心であるほとけの心を作るのがまず信の心のではなかろうか。




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